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ウエアラブル端末はなぜ流行らないのか?

最近、Yahoo!ニュースで『期待外れのウエアラブル市場、要因は普及進まぬスマートウオッチ』という記事を読みまして、そりゃそうだよなぁと思った次第です。

ポッケにiPhoneを突っ込んでおけばすでに測れるのですから、スマートウオッチをわざわざ身につけるシーンが思い浮かびません。脈を計りたいときくらいでしょうか。

ということは、心拍数を気にしなければならない人か、スポーツ選手並みに運動する人か、健康マニアか、そのくらいしか用途なさそうと思うのです。

 

というかそもそも『コンピュータを身につけておく』という発想自体が間違っていると思うのですよ。

コンピュータを身につけるという行為を『ウエアラブル』といいますが、ぼくたちは本当にウエアラブルが必要なのでしょうか?

ウエアラブルは『期待外れ』というよりも、最初から誰も期待していなかったのではないでしょうか? 開発者や投資家以外には。

ということで今回は、スマートウオッチを初めとする『ウエアラブル端末』がなぜ流行らないのか?を考えてみて、その本質から未来のコンピューティングには何が必要かに思いを馳せてみたいと思います!

 

 

そもそもウエアラブルとは何か?

まず最初に『ウエアラブル』の意味をもうちょい詳しくお話しましょう。

ウエアラブルとは『身につけて持ち歩くことができるコンピュータ』です。

で、どういうモノかといえば……Wikipediaに掲載されている初期型ウエアラブル端末写真をご覧ください!

だっさ!!!

スマホを腕に巻き付けただけじゃん!

ITの先駆者達は、本当にこんなモノが流行ると思っていたのでしょうか!?

で、この発想をもっとスマートにしたのがApple Watchというわけですが……なんというかぼく個人としては、そもそもの出だしが間違っているんだから、それをどんなに磨き上げたところで間違いは正されないと思うのですね。

腕時計以外のウエアラブル例としては、メガネだったり、指輪だったり、衣服にコンピュータを仕込んで何かさせればそれはウエアラブルだし、靴底にコンピュータを仕込んでもウエアラブルです。

ちなみにスマホはウエアラブルなのかというと、広義ではそういっても間違いではないのですが、ここでは『スマホはウエアラブルではない』としておきましょう。スマホは、身につけるのではなく持ち歩くモノですから。

 

ユビキタスとは? IoTとは?

ウエアラブルのお仲間に『ユビキタス』とか『IoT』とかいう言葉もあります。

ややこしくなってきましたが(^^;、ウエアラブルをより理解するためにもここの解説は欠かせませんのでお話しましょう。

 

まずユビキタスについて。もちろん『指で操作するコンピュータ』という意味ではありません(^^;

ユビキタスとは『ubiquitous』と書きまして、その意味は『遍在(いつでもどこでも存在すること)』とのこと。(Wikipediaより)

ITにおいてこの言葉を使うときは『いつでもどこでもコンピュータが遍在している』という『状態』を指します。正確には『ユビキタスコンピューティング』といいますね。

 

つぎにIoT(アイ・オー・ティー)について。むろん顔文字ではありません(IoT)

IoTとは『Internet of Things』と書きまして、『様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され、情報交換することにより相互に制御する仕組み』とのこと。(Wikipediaより)

スマホに限らず、冷蔵庫も洗濯機も体重計もテレビもオーディオも何もかもがネットに繋がったら便利だよね、ということです。『モノのインターネット』ともいわれております。

以上が辞典的意味合いでした。

 

さてここからは、ぼくの独断と偏見で解説していきます。

ユビキタスとは『いつもニコニコあなたのとなりに這いよるコンピュータ』(byニャル子)なのです。

だから究極的には、SFの世界でいうところのロボとかアンドロイドとか、はたまたナノマシンを想像してもらえれば分かりやすいかと思います。

例えば、起床から打ち合わせに出かけるまでのワンシーン。

メイド型ロボがぼくの隣に常時寄り添ってくれていて、彼女に「明日は11時にG社だから」と伝えておけば、朝になったら「なおくん、朝だよ♪」っと囁いてくれて、それでも寝てたら「もぅ、これ以上寝てたら遅刻しちゃうぞ♪」とか優しく起こしてくれて、起きたらもう朝食が用意されていて「はい、あ〜ん♪」とかしてくれて、出されるワイシャツはしわひとつなくて、さらには手を引きながら道案内までしてくれる!

素晴らしい(><)b

そんな世界が究極のユビキタスです。

あれ? そうだよね??

 

もうちょい味気ないユビキタスをご所望でしたらナノマシンとかでしょうか。

空気中に散布されたナノマシンが自分の周囲に常時展開されていて、ナノマシンから投影されるスクリーンに『明日11時にA社訪問』と入力しておけば、朝、無粋なアラートがけたたましく鳴り響き、むっつり起きたら冷め切ったトーストがトースターの中に入ってて、プレス済みのワイシャツを引っ張りだして着替えたらせわしなく出かけ、道中は投影スクリーンでナビゲーションされる、と。

……やっぱ、メイドさんのほうがよくないですかね?

 

まぁいずれにしても、自分が一歩も動かずとも手を伸ばせばコンピュータがある状態、それがユビキタスというわけです。

つまりユビキタスとは『状態』なのですね。

 

これに比較してIoTとは具体的な『手段』だと考えると分かりやすい。

家電であったり、車であったり、健康器具であったり、そういった個別具体的なモノがネットに繋がる仕組みがIoTで、この『手段』によってユビキタスという『状態』を実現しましょう、ということなのです。

つまり、ユビキタスという状態を実現するためのイチ手段、それがIoT。ネットワーク経由でモノを遠隔操作しようというわけです。(まぁ正確にはユビキタスの後継がIoTという話なのですがここでは割愛)

そうしないと──つまりモノひとつひとつにコンピュータを埋め込んでいかないと、一人一台のロボットをはべらせ、もとい所有でもしないとユビキタスは実現できません。ロボ開発は人間の宿願ではありますがまだまだ先の話なので、手っ取り早くユビキタスを実現するために、モノをネットワークに繋げてそれ経由で遠隔操作すれば、自立型ロボが炊飯ジャーのボタンを押しに行くのと同じ『状態』になるよね、ということなのです。

平たくいうならば、テレビやオーディオやエアコンや、その他もろもろあらゆるリモコンをスマホ1台に集約させましょう、そのほうがロボ開発するより手っ取り早いよ、ということです。

まぁ……家電のボタンひとつ押すためにどこまで大がかりな仕掛けを作るんだ、という議論は後に回すとして(^^;

 

再びウエアラブルとは何か?

さてようやく話が戻ってきましたが、改めてウエアラブルとは何かを考えてみましょう。

これもユビキタスを実現するための手段だとぼくは捉えています。

『遍在するコンピューティング』を実現するためのイチ手段、それがウエアラブルです。

メイドロボさえ実現すれば、ぼくは一歩も動かずともコンピュータのほうから近寄ってくれるし、炊飯ジャーのボタンも押しに行ってくれるのですが、現状それは無理な相談なので、であれば「コンピュータを身につければよくない?」という発想に至ったわけです。

だから時計として腕に巻いたり、メガネとして顔にかけたり、服に仕込んだりし始めたわけですね。

 

なおウエアラブルは、IoTと対立する手段というわけでもありません。

なぜなら、例えばApple Watchを常に身につけておくことで(ウエアラブル)、テレビのスイッチ入れたり、炊飯ジャーの予約ができたり、体温に応じてエアコンの温度を自動調整できたり、などのIoTがより便利になるからです。二つの手段が合わさることで相乗効果が出るということですね。

 

で、ぼくはそこに「人間、そこまでして体を動かしたくないのか?」と疑問を呈しているわけですが(^^;

IoTはまだしも、ウエアラブルは完全に「出だしの発想が間違ってるからソレ」とぼくは思うのです。

旅行にいくのでも、出発する方向を間違っていると、どのような交通手段を使っても目的地にたどり着けないのと一緒です。沖縄に行くのに北海道に向かって飛行機乗っても沖縄には着けないわけです。

 

 

ウエアラブルはなぜ流行らないのか?

ぼくは、ウエアラブルは今後も流行らないと考えています。

ただし、流行る・流行らないというのは『何を基準とするか』によります。

例えば『Apple Watchは、iPhoneに取って代わって、まったく新しい端末になる』という意味での流行を指すのであれば、いままでもこれからも、そんなことには絶対にならないと思います。

でも『スポーツに便利』という意味で流行を指すのであれば、まぁそれなりに普及は見込めるでしょう。

ぼくは今回、『iPhoneに取って代わる端末にはならない』という基準で流行らない理由をお話しています。

 

さて、なぜ流行らないのかといえば、冒頭の通り『コンピュータを身につける理由』があんまりないからです。

考えてもみてください。

メガネやコンタクトレンズだって、煩わしいと思う人はたくさんいるのです。

視力矯正という絶対に必要不可欠な機能をメガネは担うにもかかわらず嫌がる人が多くいます。メガネの『視力矯正』という超重要な機能に比べたら、スマートウオッチの『着信を見逃さない』なんて機能はへそで茶を沸かせるレベルです(゚Д゚)

何が言いたいのかというと、『視力矯正』という生活にとって一大事な機能を担うメガネですらかけたくない人が多いというのに、たかが『着信をお知らせ』とか『脈を測れる』とかいう程度の機能しか担えない現行のウエアラブル端末が着用されるのか、開発者はいちど考えてみたほうがいいよ、ということなのです。(もちろん、脈を測らねば死んでしまうような大病を患っている人は別)

ぼくは、ウエアラブル着用は無理だと思います。

 

それとウエアラブルの問題点としてはもう1つ。身につける時点で、ウエアラブル端末はIT端末ではなく装飾品になるという点です。

つまりITではなくファッションになるわけです、そのジャンルが。

ファッションともなると、多種多様なラインナップから自分のお気に入りを探す、というような選ばれ方になります。

そんなジャンルに、ぼくらのようなダサいIT従事者たちが入り込んでいったところで、ファッション性で選ばれる装飾品を作れるのでしょうか? もっといえばたかだか数社のITメーカーが入り込んだところで、百花繚乱のファッションジャンルでは『選択肢の一つ』でしかないわけです。

例えば、パソコンであれば『Mac VS Windows』、スマホであれば『iPhone VS Androidスマホ』という二者択一の構図となっていて、Appleはこの辺非常に上手く戦略を立ててきたと思います。

でも果たして、これがファッションでも通用するのか?

ITは、業界誕生からまだ日が浅いのです。消費者にIT端末が出回ったのが90年代からだとすれば、業界自体の歴史が二十数年しかない。

でもファッション業界は全く異なります。時計メーカー一つとっても、何百年と続く老舗ブランドがわんさかいます。

ぼくは、AppleがIT業界において二者択一の構図を生み出せたのは、Appleが先駆者だったからなのと、ライバルが少なかったからだと思うので、であれば、その戦略をファッション業界でも通せるのかというと難しいと思います。

『Apple Watch VS その他時計ブランド』という構図になるのは無茶かなと。

ぼくは、デザイン性についてあまり言及したくはないのですが……Apple Watchとタグホイヤー、どっちかをプレゼントしてくれるというのなら、間違いなくタグホイヤーを選ぶでしょうし(^^;

 

というわけで──

  1. コンピュータを身につける理由がない
  2. ファッションジャンルでは選ばれ方(消費行動)がそもそも違う

──この2点から、どう考えてもウエアラブル端末は流行らないと思うのですね。

 

 

ウエアラブルの本質とは?

もしも『身につけているだけで人の思考を読み取り、考えるだけで端末の操作ができる』などというウエアラブル端末が登場すれば、そりゃあスマホを超える端末になるでしょうけれども、ぼくが生きているうちは無理なんじゃないかなと。

つまり繰り返しですが、『身につけておく』という必然性が現状のコンピュータにはそれほどないわけです。

 

「音声入力がより発達したら腕にコンピュータがついていると便利でしょ」などという意見も見受けられるのですが……本当でしょうか?

音声入力にも2つの課題があります。

1つめは、腕時計に向かって、公衆の面前で話しかける行為が習慣化するのか?という点。

人間は、話し相手が生き物であるからこそ話しかけるわけです。人間同士はもとより、赤ちゃんやペットの犬猫、人によっては観葉植物に話しかけるかもですが、いずれにしてもそれは生きているからです。そんな会話という行為が幾星霜を経て現在に至っている。

それが、たかが音声入力ができるようになった程度で、無機物のコンピュータに話しかけるようになるとは思えません。

もしもSiriのような音声認識インターフェースが、人間と瓜二つになるほど発達すれば、電話をかけているふりをして音声入力する機会も増えるのかもしれませんが……

でも、そうであったとしても、ここからが2つめの課題ですが、そもそも「通話はご遠慮ください」という場所が多いのです。

『音を外部にもらさない装置』でも発明しない限り、音声入力が主流になるとは思えないんですよね。

もちろん音声入力は、車を運転しているとか、自転車をこいでいるとか、ランニング中とか、そういう『手が使えないシーン』においては活用されると思いますが、それをもって『入力の主流になる』とは言いがたいです。

Google Homeくんに「テレビ付けてー!」と叫ぶよりも、手を伸ばしてリモコン押したほうがよっぽど早いと思うのですが、いかがでしょ?

 

閑話休題。

けっきょくウエアラブルの用途は限定的で、やっぱり健康管理とかスポーツ時の記録とか、その程度しかいまは考えられていません。

現状Appleさんも、その程度しか活用シーンを訴求できていませんから。

今後、どこかの天才が「身につけるコンピュータはこんなに素敵なんだ!」という活路を発明すれば話はぜんぜん違ってくるのですが……今のところ、ぼくの目にはそんな気配は見受けられません。

 

そうなると、Apple Watchをはじめとするウエアラブルのカテゴライズが間違っていると思います。

間違ったカテゴライズをするから、「ぜんぜん流行らないじゃん」などというガッカリ感が醸成されるわけです。

カテゴライズが間違っているとはどういうことかというと──

『ウエアラブル端末はスマホに取って代わるものではなく、スマホ周辺機器の一つ』

──ということです。

これがウエアラブルの本質だとぼくは考えています。

スマホをより便利に使いたい人向けのカスタマイズツール、それがウエアラブル。

ジョギング中にスマホを取りだして歩数をカウントするのは確かに煩わしいでしょう。

職業によっては着信を見逃せない人もいるでしょう……営業の人とか?

脈拍に並々ならぬ関心を持っている人もいるでしょう……たぶん(^^;

あとまぁたんにApple Watchのデザインがいたくお気に入りという人もいるかもしれません。

そういう人がウエアラブル端末を買えばいいのです。

 

つまりウエアラブル端末は、Apple Pencilとか、AirPodsとか、その辺と同じカテゴライズであり『スマホやタブレットの周辺機器の一つ』ということですね。

こう考えれば、ウエアラブル端末はフィットネス機器のイノベーションだと思いますし、Apple Watchはすごく売れていると思います。

ですがスマホに取って変わることはないわけです。

 

ウエアラブルの未来

ウエアラブルがスマホに取って代わる現象を起こすとしたら、それは立体映像が実用化したときでしょう。

現状のIT端末はディスプレイ(モニター)に縛られています。

何かを見る読むする、または入力するには腕時計ではディスプレイが小さすぎるんですね。

それを解決しようとした野心作がGoogle Glass (メガネ型端末)で、さらにはディスプレイを眼球に投影するような端末もありましたが、プライバシーやお目々の健康問題などなど山積みでお蔵入りになりました。

それにやっぱりメガネをかけるって煩わしいですしね。ぼくは長年メガネをしているのでいまや体の一部ではありますが。

 

もしも空中に立体映像やディスプレイを投影してくれる機能が実用化して、それが指輪ほど小さな端末に納まるのであれば、そりゃあスマホを超えられると思います。

でもこれも、メイドロボと同じくらいSFがかってますしね。いつの話になるかまったく分かりません。

 

そもそも、そこに至るまえに、スマホやタブレットがもっと薄く軽くペラッペラになることのほうが先でしょう。

このブログでは何度も書いておりますが、スマホやタブレットは、今後、プラスチック下敷きのように薄く軽く弾力性を持つようになるとぼくは思います。

OSもアプリも全部クラウドにあがり、スマホやタブレットはただの『覗き窓』になる。そうすれば端末代も安くなるでしょうから、一人何"枚"でも所持することが可能となるでしょう。

それこそ紙のように使い捨てすることすら可能かもしれません。

そうしたらスマホだのタブレットだのそんな区別もなくなって、見たい・読みたいコンテンツによってサイズを都度選べばよい。あるいは折りたためるようになって、それはあたかも新聞紙のように折りたためるようになって、大画面で読みたいときはディスプレイを開いて、満員電車内で使いたい時はディスプレイを折りたためばいい。

文庫本型二つ折りタブレット、なんてのもいいですね(^^) 文庫本のように開きますが中身は電子書籍。もちろん、文庫本より薄くて軽く、その中には何百冊もの電子書籍が格納されていて(あるいは雲の上から降ってきて)、ゲームもできて地図も開けて、オマケにペンシルで書き込み自由! それはあたかも紙のページに書き込むかのように! しかも消したいときはサッと消せて痕も残らない!!

おお……自分で書いといてなんですがすごくほしい(^^;

そういう端末のほうが、ウエアラブル端末などより近未来予測としては現実的だと思うのですね。

 

ぴーえす。面白みがなくなりつつあるIT端末

ここからはウエアラブルの話とズレてきますが、ウエアラブルにしろIoTにしろ、最近のIT端末は面白みがなくなってきたなぁと思います。

翻ってみればぼくが大学生のころ。ビックなカメラの前を歩いていたとき、そこに山積みにされていた段ボールのパッケージを見て驚愕したものです。

このパソコンはなんだ!?と。

それが、初代iMacとの初めての出会いでした。

パソコンは白くて無骨なものだと思い込んでいたぼくに、とてつもない衝撃を与えてくれました。

当時はWindows使いだったぼくが、様々な変遷を経て結局Macに乗り換えたのは、あの丸っこいスケルトンな衝撃が忘れられなかったからだと思います。

この会社は、何かをやらかしてくれると思って。

そしてやらかしてくれたのがiPhoneでした。

ちなみにiTunesとiPodについては、ぼくはそれほど衝撃を受けませんでした。初めてパソコンを購入した理由が──「オーディオコンポのCDチェンジャー(なつい!)は面倒だから、CDの音楽データをぜんぶパソコンに入れたらいいじゃん!」が購入理由だったので、にもかかわらず当時のパソコンはアルバム1枚入れたらHDDパンパンになるという代物で、だからiTunesが出てきたときは「やっと出てきたか」と思う程度でした。

話戻してiPhone。

アレの本質は『インターネットを机から離陸させた』という点ですが、でもそれはあとから分かったことで、一見して衝撃だったのは──

「コンテンツに触れられているよ!!」

──という衝撃でした。

画面の中のホームページが、あたかも、自分の指で触れられているかのような、そんな感触。

それがiPhoneでした。

無論、デジタル依存激しいぼくは一目惚れでした。

コンテンツは、画面の向こう側にある遠い存在でした。キーボードやマウスやペンタブで遠隔操作するしかなかったというのに、それがiPhoneは指で触れているかのようなのです。自分で作ったホームページに指で触れてさらに感動しました(^^;

例えるなら、クレーンゲームに手をつっこんでぬいぐるみを鷲掴みにするかのような爽快感……!

で、即座にiPhone 3G (日本では最初のiPhone)を購入してしまった次第です。

 

つまり何がいいたいのかというと、昨今のIT端末には、こんな感動がなくなったのです。

いやまぁ強いていえばAppleががんばっておりますが、ぼくが感じた最近の感動はApple Pencilくらいですからねぇ。

ではどうして、そんな感動がなくなったのかといえば?

各メーカー、みんな一様に『機能売り』しているからだと思うのですね。

 

例えば、IoTによってエアコンがスマホで出先から操作できるようになる。

便利だとは思います。ですが……これだけのために、ウン十万もするエアコンは買い換えないよねぇ(-_-)

牛乳が切れたら自動注文してくれる冷蔵庫とか、エアコンと加湿器が連動して空調整えるとか、家の鍵が指紋認証になったりスマホでロックできたりなどなど、あれば便利だけど「だから何?」という感じなのですよ。

つまり、このような機能性を追求していくようでは、IoTでもウエアラブルでも、ひいては、いつでもどこでもコンピュータが這い寄ってくるユビキタス世界であろうとも「へぇ、便利だね?」で終わってしまうと思うのです。

iPhoneのように、新たな市場を生み出す動力源にはなり得ないでしょう。

そもそも、iPhoneのタッチパネルだってぼくたちは昔からずっと使っていました──銀行のATMで。

でも、iPhoneのあのスルスル動くタッチパネルには感動を覚えるわけです。まぁ、ぼくだけという話もありますが(^^;

 

『機能売り』をマーケティング的に言い換えれば『機能的価値』となりますが、もう一つの考え方として『情緒的価値』があります。

情緒的価値とは、「すごい!」「面白い!」「カッコイイ!」など、人の感情を大きく動かす価値を指します。「便利」と思うのも感情ですから、明確に、ここまでが機能的価値、ここからが情緒的価値、と切り分けることはできませんが、「へぇ、便利だね」(機能的価値)という感情と「うっわすっごい!」(情緒的価値)という感情は確かに違うということはお分かり頂けるかと思います。

平たくいえば、驚きを伴うかどうかが分かれ目、といったところですかね(^^)

iPhoneをリリースしたときまでのAppleは、この情緒的価値の醸成が非常に上手かった。

無骨極まりないパソコンをスタイリッシュに変身させ、タッチパネルを『あたかも画面の中を触っているかのように演出』した。

視覚はもちろん、画面の中を触っているという触覚にすら訴えかけて情緒的価値を提供できる端末、それこそAppleが提供していた製品でした(過去形)。

IoTとかウエアラブルとかユビキタスとか、ITの人々が今後どんなに声高に叫んでも、そこに『機能的価値』しか乗せられないのであれば、それは単なる『便利機能』です。

だから需要は喚起されず、ゆえに端末が壊れるまで買い換えされず、買い換えするときすら購入の決め手にはならないのです。

だって同じような機能を各社搭載しますからね。機能的価値は真似しやすいのです。

まぁそれでも、Amazonのように世界規模で展開する体力があるならばいいでしょうけれども……。

でもiPhoneのような革新性を追求したいならば、つまり新たな市場を切り開きイノベーションを起こしたいならば、IT端末に『情緒的価値』を乗せる必要があるのではないか?と思う今日この頃です。

 

そしてこれを可能にするためのヒントは『遊び心』だなぁと思う次第です。

では遊び心とは何かといえば『人と人のポジティブな繋がり』だと思うんですね。

IT端末は、人と人を繋げる道具に過ぎません。ウエアラブルといって人間とコンピュータをくっつけても意味ないし、IoTといってモノとモノをくっつけてもたかがしれているのです。

重要なのは、人と人を如何にスマートにユニークに結びつけられるか、そのハブになるために、IT端末は今後どのように進化するのか、それを考えるべきだと思います。

 

以上のことをぼくはえんえんと考えてみた結果、ぼくが考える一つの回答としては、実は重要なのはハードでもソフトでもなくてコンテンツじゃないないのかな?と思ったので、こうやって野良ブログを書いているんですけどね(^^;

もちろん、コンテンツだけがその回答というわけではありませんので、ぜひ、情緒あふるるIT端末を作って頂きたいものです。

まぁとりあえず、ぼくのブログがより読みやすくなるように、各社しのぎを削って紙のようなディスプレイを早く売り出して頂ければ幸いです(゚Д゚)